母親の「孤独」って、本当に“ひとりでいること”だけなのでしょうか
「母親の孤独」という言葉を聞くと、“ひとりで育児を抱え込んでいる状態”を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
相談相手がいない。
ワンオペ育児。
社会とのつながりがない。
助けを求められない。
もちろん、それは本当に大変なことです。
でも私は、自分の体験を通して、「孤独」や「孤立」って、単純に“人がいない状態”だけではないのかもしれない、と思うようになりました。
むしろ、誰かと一緒にいても孤立することがある。
家族がいても。
夫がいても。
子どもがいても。
「ちゃんと家族でいなきゃ」
「ちゃんと母親でいなきゃ」
そんな空気の中で、自分の本音を少しずつ飲み込んでいると、人は静かに孤立していくのかもしれません。
なぜ私は、「夫より子どもと二人のほうが楽」だったのか
私が「本当はわたし、夫より子どもと二人でいるほうが楽です」というエッセイをnoteに書いたのは、その感覚を書いてみたかったからでした。

もちろん、これは「夫が嫌い」という話ではありません。
むしろ夫は、家族を大事にしたい人なのだと思います。
ただ、夫と子どもと三人でいると、私はいつの間にか、「妻」としての自分を頑張ってしまうのです。
空気を読む。
場を整える。
ちゃんと家族らしく振る舞う。
休日を“いい時間”にしようとする。
そういうものを、無意識に背負ってしまう。
一方で、子どもと二人でいるときは、その圧が少し薄まります。
もちろん育児は大変です。
静かではないし、自分のペースでもいられない。
でも、大人同士の関係の中にある、「どう見られているか」「ちゃんとしているか」という視線から、少しだけ降りられる感じがありました。
だから私は、子どもと二人の時間に安心していたのだと思います。
ここで大事なのは、私は「子育てが楽」と言いたいわけではない、ということです。
実際には、子育てそのものが本当にしんどい人もたくさんいる。
子どもの泣き声。
終わらない要求。
睡眠不足。
身体的な負担。
むしろ、一般的には、育児そのもののほうが圧倒的に大変だと感じる人のほうが多いと思います。
だから、何がしんどいかは、本当に人それぞれなんですよね。
私の場合は、「育児」そのものより、「母親としてどうあるべきか」という空気のほうに、神経を削られていました。
今の子育て支援は、「つながり」を求めすぎているのかもしれない
今は、「孤立しない子育て」がとても大事だと言われています。
相談窓口。
地域支援。
父親参加。
見守り。
コミュニティ。
どれも必要なものだと思います。
でも、その一方で、私はときどき、「支援」と「見られている感覚」が近すぎることがあるようにも感じます。
「ちゃんと休めていますか?」
「旦那さんは協力的ですか?」
「家族でお出かけしていますか?」
「孤立しないようにね」
どれも悪気のない言葉です。
でも、“正しい家族像”が前提になっている言葉は、ときどき苦しくなる。
特に私のように、「家族といること」そのものではなく、“家族らしく振る舞うこと”に疲れてしまう人間にとっては、「もっとつながろう」「もっと家族で」という空気そのものが、圧になることがあります。
本当に必要なのは、常につながることだけではなく、「評価されずに存在できる時間」なのかもしれません。
誰にも説明しなくていい時間。
ちゃんと母親でいなくていい時間。
“いい家族”に見えなくていい時間。
そういう、“視線から降りられる場所”が必要な人もいるのだと思います。
「みんなといたい」と、「削れずにいたい」は両立できるのでしょうか
私は今でも、「みんなといたい」という気持ちを持っています。
自然に輪の中にいられる人への憧れも、たぶんずっとあります。
でも同時に、自分が削れない距離を持たなければ、誰かを愛し続けることも難しいのだと感じています。
だからこれは、「家族が嫌」という話ではありません。
むしろ逆で、大切にしたいからこそ、自分が消えてしまわない距離を探している、という感覚に近い。
「孤立しないこと」は大事です。
でも、それと同じくらい、「削れずに存在できること」も大事なのではないでしょうか。
私はそんなことを考えながら、このエッセイを書きました。


